生命が先か、愛が先か
投稿日:2020年5月21日
新型コロナウィルスによる緊急事態も少しずつ、収束に向かいつつある状況になってきました。
ラグビーワールドカップの時には、おもてなしで、何と美しい人間愛の国と思った日本でしたが、このコロナ禍においては、目を覆いたくなるような現象も、いろいろ目にするようになりました。
何が正しくて、何が悪いとは言えませんが、私たちは、自分に災いが降りかかる、あるいは自分は死にたくないと思ったときに、他人に対して冷たく酷い仕打ちをしてしまうこともあるものです。
「コロナに罹ることを恐れるよりも、愛をもって周りの人たちと一緒に楽しく生活をしたい」、韓鶴子総裁の自叙伝を読みながら、私たちはこのことを、深く考える必要があるのでは、と思わせられました。
☆☆☆ 自叙伝 「人類の涙をぬぐう平和の母」P299 より
「生命が先でしょうか、愛が先でしょうか?」こう尋ねれば、ほとんどの人は「生命が先だ」と答えます。「生命があってこそ愛することもできますから」というのです。
しかし、本当は愛が先です。あらゆる存在の出発点は、生命です。しかしその生命は、愛によって宿ったものです。ですから、生命よりも愛が先なのです。私たちの心と体は、父母から出てきました。父親と母親の愛がなかったならば、私たちはこの世に存在していません。ですから、命を捨てることがあったとしても、愛を捨ててはならないのです。
人は愛によって生まれ、愛の道を歩み、愛のために死ななければなりません。しかし、瞬間的な愛、条件的な愛に溺れてはいけません。永遠で純粋な愛を持たなければなりません。